祭典を終えて本殿覆屋を観察する

米泉の米日吉神社月次祭を終え、その足で泉の国造神社に向かいます。

例年寒さを強く感じる時期なのですが、本日は日の光の中で暖かい空気に触れることもできました。

泉 国造神社 新嘗祭無事斎行

祭典を終えて本殿覆屋を観察する
祭典を終えて本殿覆屋を観察する

今から千年前の日本はいったいどのような国だったのでしょうか。

車も無ければスマホも無い。

ビルディングも無ければ、電気施設も無かった。

しかし、国造神社は、すでに建立されて人々の崇敬の念を集めておりました。

そして本日の新嘗祭から1週間ほど前に、本殿裏で見つかった立て看板も、連綿と続く歴史の一端を現代に伝えてくれました。

大正14年に行われた式年祭の案内立て看板
大正14年に行われた式年祭の案内立て看板

この立て看板には、大正十四年九月二十四日午後二時から国造神社創立千百五十年式年祭が行われた旨が記されているのです。

社殿の中には、この創立千百五十年式年祭に奉納された額も献ぜられており、事実であったことが確認できます。

泉の地には、それほどの歴史がある、とも言いかえることができるのです。

13日は、この歴史的地域遺産でもある国造神社の、新嘗祭でした。


 

今回の新嘗祭には、泉地区の生産組合様から玄米30kgのご奉納がありました。

また、個人でも御供米をご持参いただき祭典にご参列いただいた方もいらっしゃいました。

新嘗祭の本義は、その年収穫されたお米や野菜海菜等や商売などで得た収益の一端をお供えし、一年を終えることへの感謝を表すお祭りですから、お米を生産していらっしゃる方々がこのお祭りにお供えをすることは至極当然であり本義を貫いた神事の一端となります。

兎角感謝を表すことが下手な日本人ですが、特に石川県民(中でも男性)はこれがものすごく上手ではありません。

だからこそ、今でも新嘗祭に玄米や野菜などをお供えする風習が色濃く残っているように感じます。

田畑の消えゆく現代と嘆かれておりますが、志を持った農家の方々が日本からいなくなることはありません。

同じように、神社の神事がなくなることも無ければ、お参りに対する心持が消え去ることもありません。

どうか今後も、皆様もお力添えを以て新嘗祭が恙なく執り行われますことを祈ります。

厄除祈願のご奉仕

今回の新嘗祭に合わせて、泉・泉本町地域の皆様に広く厄除祈願のお参りを促す旨が伝えられました。

元来地元氏神様で個人のご祈祷が行われてきたのですが、国造神社は神主が常駐せず氏子総代の皆様が中心になってお守りされておりますので、ご祈祷は全て増泉春日神社で行われておりました。

しかし、昨今の地域情勢と総代さん方の想いを鑑み、今回以降神職が祭典に伺う際に合わせてご祈祷を執り行えることと相成りました。

これまでも大きなお祭りに合わせてごく一部厚い崇敬の念を持つ方から強いご要望をいただいて、年中四大祭に合わせてご祈祷を行うことがありましたが、これを広く地域氏子の皆様にお問い合わせいただきご要望を集める形になったのです。

折しも年末となる新嘗祭ですから、厄除祈祷も併せて行えればみな足を運びやすいのではないだろうかとの配慮があったようです。

基本的には常に神職のいる春日神社でのご祈祷奉仕が最もとなるのですが、氏子総代からご案内がある折にはぜひご家族皆様ご相談のうえ、国造神社でのご祈祷をお考えください。


 

新嘗祭の様子を記した国造神社だより・泉生産組合だよりも発行されております。

国造神社だより No.33
国造神社だより No.33

國造神社だより No.33(PDF)

泉生産組合だより No.67
泉生産組合だより No.67

泉生産組合だより 67号(PDF)