平成28年のお正月には、国造神社の祈願絵馬に色つきのものが追加されることになりました。

また、初詣に専用の初穂料奉納封筒を用いて拝殿でのお参りをいただいた方には、これまで通り数量限定でお正月特別撤饌も準備される様子です。

氏子の皆様をはじめ、広く崇敬者の皆様には是非足を運んでいただき、新設されたばかりの絵馬・神籤結い所に思いを結んでいただきたい所存です。

こくぞうじんじゃ、に思いを馳せる。

さて、国造神社の神社名が表すところである「国造」ですが、これは「こくぞう」と呼ばれ本義を表して間違いないでしょう。

しかし、ご祭神である大兄彦大神様を踏まえて歴史を振り返ると、本義に倣った上でさらなる地域の時間の流れが見えてくるように考えております。

先ずはこの「国造」の漢字が表すところを少し掘り下げてきましょう。

これはまさに国を造ることそれ自体を表していることは間違いありません。

現代社会と違い、日本国内には数多くの領地があり、それぞれの社会集団を一つの国として認識し、さらにその国には領主としての立場を持った人間がいたとみられます。

このような社会集団を築き運営していた者を称えると共に、地域社会の平和と五穀豊穣を願って大神様のお力添えを祈願していた場所、それが、国造神社では無いのでしょうか。

統制された社会を整えるためには、地域住民が交流の場として気軽に集まれる場所は必須でした。

また、平野で且つ水資源の豊富な泉地区では農業は活発に行われていたと考えられ、そのためには一つの家だけで作業にあたるよりも地域集団が一丸となって生きるための農耕活動にいそしんでいたと考えて何ら不思議ではありません。

このために活用された神社だからこそ国造神社となっていると考えてそう不思議では無いのです。

また、この「国造」は別の意味も表します。

歴史文書の中に「国造本紀」と呼ばれるものがあります。

これは、成務天皇が日本国内に数多あった各地域社会集団である「国」の領主を「国造」として任命統治させ、これを記した本となります。

そしてこの中では、「国造」は「くにのみやつこ」と読まれ、意味するところは正に各国の領主を示します。

ここで、いずみの国造神社のご祭神を思い出してみます。

「大兄彦大神」さまがいらっしゃいますね。

この「大兄彦」は、第十代崇神天皇が北陸地方に派遣した者とされますが、歴史的には実力者の正当後継者である長兄を指すともいわれております。

邪推せずに考えれば、この北陸地方に派遣された第十代崇神天皇の意思とご威光を冠した者を称えるとして国造神社が設立されたとすることは至極自然でありますが、石川県南部を広く納めていた加賀国、その領主たる「国造(くにのみやつこ)」の家系を「大兄彦大神」として祀ったとして考えてもおもしろいのではないでしょうか。


 

歴史書と共に残る歴史遺産

白山市横江や野々市市押野などの氏神様を兼務する当春日神社では、昨今の地域歴史探訪の動きから否応なしに県南部のおもしろいお話を聞く機会が多くありました。

それに伴い、神社の持つ歴史的価値が、多くの皆様に再確認されて来てもいます。

またこれら神社の立地も重要な価値を持つとされ、古地図などとも併せて県南部に止まらない北陸地方の歴史を著すとして注目されてきております。

こういった事実は、一人の人間によって守られてきたのではありません。

地域社会が、結束を良しと踏まえ、人々が如何に平和であり、如何に互いを支え合うことで、社会集団として発展していくことが出来るかを試行錯誤させてきたからこそ、現代社会にもその遺産である「神社」が残っているのです。

個人には限界もあり、集団には発展性もある。

これら双方を大切に、相互作用で良い部分を引き上げてきた結果が、現在の加賀国ともいえます。

国造神社とまで名をつけて、当時の人々は何を思い描いていたのでしょうか。

想いを巡らせつつも、新しい一年がまた始まる喜びを、皆様共に願い祝いたいものです。

氏子総代はじめ多くの方に守られる国造神社へ、是非初詣にお越しください。

國造神社だより No.34 (PDF)