冬の国造神社拝殿

拝殿屋根の作り出す神社建築の雅

国造神社の拝殿屋根はとても荘厳な造りとなっております。

建築様式としては入母屋(いりもや)造り、これの正面に千鳥破風(ちどりはふ)と唐破風(からはふ)を備えたものです。

冬の国造神社拝殿
冬の国造神社拝殿

この造りは江戸時代から近世にかけて流行したのですが、その発端は美しいお城の屋根にあったとみられます。

そもそもお城を築けるほどの卓越した技術を持った集団がそこかしこに溢れていたわけではありませんし、大工集も四六時中お城を作っていたわけでもありません。

だからこそ、戦乱の世を経て平和な世の中になりお城を作るなどの一大事業がなくなった後に、立派なお城を作る職人さんたちが生活を続け職人技を引き継ぐために築城技術が城下にまで浸透していった、と考えればさほど不思議ではありません。

そして、前田家と縁深く、北国街道沿いの商業地であった泉・野町地区の氏神様として地元から大切にされていると共に厚い崇敬の念を集めていた国造神社であったからこそ、大きなお力添えを以て斯様な拝殿が作られたと想像できます。

国造神社東側より破風を望む
国造神社東側より破風を望む

さて、写真でも目を引く破風(はふ)ですが、入母屋破風と千鳥破風がほぼ同じサイズに造形されており、屋根造りを大きく華麗に見せることに一役かっております。

また、破風を飾る魚(げぎょ)にも端麗な飾り彫りがされていることから、当時の職人さんの心意気を感じずには居られません。

国造神社 東側懸魚
国造神社 東側懸魚

そして屋根の裏側、垂木(たるき)部分を覗けば、地垂木(じだるき)と飛垂木(ひえんだるき)が備えられると共に唐破風内へと続く垂木の造りに目を引かれることでしょう。

国造神社 垂木を覗う
国造神社 垂木を覗う

そのまま正面側へと飛び出した海老虹梁(えびこうりょう)へと目を移せば、神社ならではの彫り紋様を備えているところが見て取れます。

国造神社拝殿向拝柱
国造神社拝殿向拝柱

そして、正面向拝に視線を戻してくれば、神社建築の雅を見事にあしらえた拝殿への光景がはっきりとします。

国造神社 正面より拝殿向拝を見上げる
国造神社 正面より拝殿向拝を見上げる

また、この拝殿屋根に用いられております瓦にも、独特な紋様が施されており、それぞれの破風の隅瓦(すみがわら)にも、金で装飾された神紋(しんもん)が美しく輝いていることが分かります。

さらに、棟木をしっかりと支え、屋根の要ともなる棟瓦にも化粧を施した瓦が用いられております。

解体まではしておりませんので創造の範疇を出ませんが、おそらく棟木の上に瓦を敷き、さらに垂木を乗せたうえでもう一度瓦を敷いているものと思われます。

そしてここにも、金色の装飾を施された神紋が輝きます。

穀蔵神社の瓦(拡大)
穀蔵神社の瓦(拡大)

このように、国造神社拝殿は、地域文化の集大成でもあると共に、加賀地区の神社建築を美しく表現している一社と言え、地元のみならず広く崇敬者を集める一因ともなっております。

小さな地元の氏神様としては、少し豪華すぎる屋根造りですので、この機会に是非ご覧下さい。

氏神様を奉る地域の皆様の取り組み

さて、現在の国造神社拝殿ですが、数年前に緊急の改修工事を終えて銅板は新品の輝きを取り戻しております。

もちろんその佇まいにも変わるところは無く、昨今は氏子衆が心技体を一つにしてお祭りなどにも力を入れていらっしゃいます。

さらには長年忘れられていた、お祭りの度に掲げる神旗の復活も成され、祭事の度に美しく静かな趣を見せるお社へと歩みを進めております。

また、今回ご紹介した屋根づくりには、若干ではありますが綻びも目立つようになってまいりました。

皆様口には出しませんが、どうにかこの美しいお社を守り続けられるよう心を整えていらっしゃる様子が見られます。

いつか来るべき「時代の一大事業」となるであろうご造営事業に向けて、今後何十年とかけて広く皆様に周知ご助力をいただき、加賀百万石が築いた歴史の一部として、価値ある神社をお守りしていくよう、これまで同様少しずつ歩みを進めていくでしょう。

常に神主のいる神社ではございませんが、車で10分ほどの春日神社神職が宮司を務めておりますので、何かご相談がございましたら気軽にお電話ください。

もちろん氏子総代の方々は近所に住んでお社にも足しげく参拝してらっしゃるとの事ですから、時事事象に関して早急な取り組みが必要であれば、総代さんにご相談いただくのもよいでしょう。

金沢城下の神社としては破格の神社屋根造りとなっております国造神社のご紹介でした。

国造神社 正面より(平成27年9月)
国造神社 正面より(平成27年9月)