荒川神社

荒川神社 社殿

荒川神社(あらかわじんじゃ)

arakawa shinto shrine

歴史とその変遷

荒川神社 社殿古代末期の長久年間の創建と伝えられている。
明治4年に村社に指定され、同14年3月に八幡社の名称を鎮座する土地の名称をとり荒川神社と改称した。
同39年12月には神饌幣帛料供進神社に指定され、さらに翌年同40年9月には石川郡郷村字長池に鎮座されていた村社八幡社を合祀するに至った。
当社は古くより鳥居の無い神社として知られていたが、これはそれまで建立されなかったわけではなく、村民力を合わせ建立するも一夜にして倒壊するなどを繰り返したという伝承の為、長く鳥居を建てない神社であった。
しかし、昭和59年より再び神門でもある鳥居をどうにか建立しその御神徳を確かなものと知らしめねば、と、村中より声が上がり、平成2年には氏子中21名が初老記念として鳥居を奉納したのである。

数十年来の悲願であった拝殿の改築事業が平成27年に工事開始となり、平成28年3月26日に仮伝として増泉春日神社の摂社出世稲荷神社より荒川神社社殿へとお戻りいただき、平成28年3月27日には盛大に慶賀行事が行われ、地域住民が揃ってこれを寿ぐとともに子供たちは稚児行列を成してお祝いがされました。

平成の大事業であるこのご造営事業は、地域住民の結束をさらに強く固めるとともに、子供たちが未来へ伝えるふるさとの、確固たる礎として記録にも記憶にも、思い出にも残るとても素晴らしい事業となりました。

荒川神社 慶賀祭の様子
荒川神社 慶賀祭の様子
荒川神社 山盛りの神饌
荒川神社 山盛りの神饌
荒川神社 当日は晴天
荒川神社 当日は晴天
荒川神社 新嘗祭の神饌
荒川神社 新嘗祭の神饌
古い歴史を、これからに紡ぐ
古い歴史を、これからに紡ぐ
椿の里公園の石碑
椿の里公園の石碑


ご祭神

誉田別尊(ほむだわけのみこと)
別名:応神天皇


境内

荒川神社 正面鳥居より
荒川神社 正面鳥居より

現在氏子地域周辺は新幹線の工事が進み、再開発土地区画整理事業地区にも指定され住宅が多く建ち並ぶようになってきている。
社殿には雪囲いがされ、神社を守ろうと願う氏子の皆様の気持ちが表れている。
現在大がかりな修復工事を計画しており、氏子地域の皆様及び崇敬される多くの皆様には、広くその奉賛を募集しています。(詳しくは町会を通じ氏子総代までご連絡ください)


お祭り

1月3日 歳旦祭
4月2日 春祭り
10月16日 秋祭り
11月23日 新嘗祭

お祭りの前に氏子の皆様には祭典奉納幣帛料を納める御初穂料の袋をお配りいたします。
現在氏子区域の大幅な区画整理事業が進んでいますので、当荒川神社氏子区域にお住まいの方は、町会を通じて初穂料を納める袋が必要な旨を進言していただけるようお願いいたします。
これらのお祭りは、氏子の皆様のご家族の平和と今後の隆盛、また二日市の里の安寧を願って、宮総代・氏子町会・子供会をはじめ多くの皆様のお力添えをいただき盛大に執り行われます。


近年の荒川神社周辺

野々市市北西部土地区画整理事業に伴い、つばきの里公園や大きな住宅区域が整備され二日市地内は大きく様変わりし、新しく家庭を持った若者達が集い住まう賑やかで安らかな町へと変貌を遂げつつあります。

これは新しい人々が地元の方と交わるとても良い機会でもあり、地域社会が賑わいを取り戻し、また新しい人々へ落ち着きを与える相互作用がうまく働く場所となっております。

神社の建つ場所は風がとても強く吹き付ける場所で、以前は鳥居を建てる事すら儘ならぬ正に荒れた地でありましたが、地元に人々はこれに耐え、田畑を耕し、共に手を取り合って支え合い、神社を守るという一念に向き合って生活してくる事で団結を学んできました。

これから新しくみえた人々にもこの思いを礎に、地域社会の相互互助をより一層伝え守り、ゆとりと和みのある起立正しい社会造成へと歩んでゆく事でしょう。

付記 : 平成29年2月1日に、二日市地内の一部地域は丁番地表記へと変更になり、荒川神社も5丁目18番地が与えられました。


所在地 周辺地図


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鎮座地 : 石川県野々市市二日市5丁目18番地

(旧住所:石川県野々市市二日市町100番地)

連絡先 : 春日神社社務所 もしくは 町会を通じて荒川神社氏子総代まで

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