増泉森蝉
江戸幕府12代将軍「徳川家慶」の時代、嘉永2年(1849)に編纂された、『十景細見』という冊子があります。
これは、石川県立図書館に収蔵されている本で、当時の金沢にあった名所10か所を、和歌と共に残しているものです。
(参考リンク:石川SHOSHO 『十景細見』)
その中に描かれております十の場所は下記の通り。(参照:好きです金沢~金沢十景 HPは閉鎖されたようです・・・)
- 犀川春霞 (犀川ごりやからの風景)
- 妙玄夕桜 (松月寺の大桜?)
- 増泉森蝉 (春日神社鎮守の森)
- 牛坂渡鳥 (旭町牛坂の風物詩)
- 狐松時雨 (卯辰山にあった一本松?)
- 長谷山月 (大乗寺坂長谷院の展望)
- 泉野桃花 (旧桃畠町一円の風景)
- 梅鉢清水 (大豆田にあったもの)
- 春日紅葉 (小坂神社鎮守の森)
- 山科暮雪 (満願寺山付近の冬風景)
そう、この、「3.増泉森蝉」とは正に当春日神社のことを表しております。
おそらく江戸時代にはこういった様子だったのでしょう。
今でも、夏になると多くの蝉の声が響き渡り、それこそ蝉時雨となって降り注ぐ境内。
暑い夏ともなれば、朝夕問わず24時間ずっと鳴いております。
神社在住神職一家から近隣氏子衆に至るまで、生まれ育った地での極々当たり前の夏でしたので何とも思っておりませんでしたが、どうやらこれほど賑やかな夏を迎えるところは少なかったようですね。
この冊子には、さらに江戸時代の情景を簡素に描いた風景画も載っております。
ほんの半世紀前には、現在の神社周辺には田圃か空地しかなく、北陸本線まで全く障害物無く見通せた、と、氏子衆は言います。
その通りの景色でしょう。この冊子にはぽつんと神社の森がある様が見て取れます。
今ではコンクリートとアスファルトの世界が広がりましたが、境内は昔と変わらない景色を見事に残しています。
地域の歴史と文化を残し、また、四季と情景までも正しく美しく残す事が出来ている。
地域住民の皆さんの、温かい心が、ここにも垣間見る事が出来ます。
「増泉」
春日神社周辺には、「泉」の名がつく場所が集まっております。
増泉、泉、西泉、米泉、等々。
大和国三笠山御神領としてまた御厨と称した土地は『石川郡五ヶ庄』と『加賀郡小坂庄』であり、この石川郡五ヶ庄村落は『糸田』『増泉』『石坂』『中村』『大豆田』と明確に伝えられております。この土地毎に祠社が建立されたのですが、増泉の地には春日大社より御神霊を勧請為れるに至り、これら五ヶ庄を総じて神官社人を定め、現代に至るまで連綿と神事が守られてきた土地でもあります。
もちろんこの泉という名が付く理由は水に由来しております。
現在の泉が付くこれらの地域は、山側にはすぐに寺町台地・泉が丘があるのですが、この台地と増泉・泉地域には20メートル程の標高差が生じておりまして、白山連峰を源泉とした地下水は日本海に向けて地面の中を流れ、綺麗に濾過されるのです。
その地下水の通り道となり少し掘るだけで水が湧き出すところが、現在の増泉や泉地域だったのです。現在ではほぼ無くなってしまったのですが、わき水を使って野菜や米を洗う共用の水場もごく当たり前にありました。テレビなどで時折見かける、屋根があるだけの簡素な造りの場所ではありましたが。
そして、その泉の水を引き、お米を作っていた所こそ米泉周辺地域なのではないかと、想いを馳せるにそう多くの時間はいらないでしょう。
そして今でも、これらの地には豊富な地下水が溢れております。
春日神社では、この自然の恵みを現代の人々に少しでも感じていただけるよう、地下水を汲み上げ、手水として利用しております。
今の世では、融雪装置など地下水利用は様々な場面に渡っておりますので、昔のようにちょっと掘ればすぐ水脈だとはなりませんが、それでも枯れることなく連綿とその恩恵を与えてくれております。
実は、この地下水、かなり良い水のようで。
この水を汲みに見えられる方が、後を絶ちません。
遠くは県外から、近くは春日神社のお供えのお水として利用されています。
中には、毎朝必ず散歩に出かけ、その帰り道に増泉春日神社の手水を汲んで、家に帰ってその水で珈琲をいれて飲むのが人生の楽しみの一つだ、なんて話す方もいらっしゃいます。
どれをとっても、あくせくしてしまい時間に追われがちな現代社会に、一時の清涼を与えてくれていることに間違いはなさそうです。
四季を通じて手水の水を汲み上げることが出来るように配慮しておりますので、御神水をぜひ一度、お召し上がり下さい。