TAKAMIMUSUHI shinto shrine
歴史とその変遷
近世から、その鎮座が明瞭となる高皇産霊神社の前身である多門社は、現在の鎮座地と違い、押野町の西部、通称「宮様跡」と呼ばれた位置に鎮座されていた。
一方、押野村の東部、通称「宮前」と呼ばれる位置に清水社の前身である比咩社があった。
明治初年の押野村には、神社は多門社(現・高皇産霊神社)と比咩社(後の清水社)の二社となり、明治4年頃に多門社は村社に列格された。
明治20年の大火で、東部の清水社が焼失し、西部の多門社に合併された。
その後、北部の現在地(旧十村役後藤家の敷地跡)に移った。明治39年12月29日、多門社は神饌幣帛供進神社に指定され、明治40年3月に社名を「高皇産霊神社」と改称した。
明治44年5月には社殿を改築。敷地面積は339坪であった。
昭和45年より同62年にわたる期間中、数度に分けて社殿改築を行い現在の荘厳な社殿をみるに至っている。
直近では、平成22年に屋根瓦の総吹き替え工事を行い、その美しい風格をみせるている。
平成27年10月には沿革碑が建立され、その歴史が今一度正確に探究されるきっかけとなりました。「高皇産霊神社沿革碑文」
よく読み方をご質問いただきますが、「たかみむすひじんじゃ」を正式としております。(地元衆をはじめとして多くの方は「たかみむすびじんじゃ」と呼ばれますが、間違いではございません。)
平成29年より、奉賛会によりホームページが立ち上げられました。
こちらの是非ご覧下さい。
ご祭神
高皇産霊尊 (たかみむすひのみこと)
天照大神 (あまてらすおおかみ)
国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
境内
写真の通り、その境内には多くの桜が植えられ、春には美しい社殿とともに栄える薄いピンクで境内を埋め尽くします。社殿の屋根は入母屋造で正面は唐破風付と、氏子の皆様からの厚い崇敬を表す華麗な風格を持っています。
また、境内には社務所も構え、お祭りや時々の境内清掃などの際にも使われる実務と憩いを兼ねた場所となっているようです。
境内周辺には駐車場はございません。お気をつけください。
お祭り
1月 3日 歳旦祭
4月 1日 春祭り
10月10日 秋祭り
11月23日 新嘗祭
お祭りの前に氏子の皆様には祭典奉納幣帛料を納める御初穂料の袋をお配りいたします。
これらのお祭りは、氏子の皆様のご家族の平和と今後の隆盛、また押野の里の安寧を願って、総代・奉賛会をはじめ多くの皆様のお力添えをいただき盛大に執り行われます。
所在地 周辺地図
氏子区域地図
押野地内は金沢市押野1丁目を除き洩れる事無く全て高皇産霊神社の氏子区域となります。
地鎮祭や入居浄祓いなど土地に根付いたお祭りは当神社(春日神社)が受け持つよう決められております。