宇佐八幡神社
歴史とその変遷
本社:宇佐八幡神社(うさはちまんじんじゃ)
当社の創立年代は正確には不明ですが、古くは清和天皇の時代貞観八年(886)に朝廷が従四位源朝臣能有をして大己貴命をご祭神とする石川郡横江荘鎮座のお社に奉納したと伝えられていることから推測すると、1100年を優に超える歴史と伝統を保っていると言って過言ではないでしょう。
藩政時代には横江の村が栄えてきたことから石川郡の横江郷と呼ばれ、地域住民の総社として崇敬を広く集め、横江の村の中心施設の一つとなっていったようです。
長く本殿半畳、拝殿四畳という質素なお社としてお祭りされてきていた当社も、明治13年には改築され、それまで八幡社と称されてきていましたが現在の「宇佐八幡神社」と変更されました。
また昭和40年頃から、やはり風雨の力には勝てず劣化していくお社を見るに堪えかねた氏子総代の皆さんが決起し、昭和41年9月には、本殿、弊殿、神饌所、神楽殿を大幅に改築しました。
昭和51年には祭器庫を設置。平成23年には子供御輿の保管庫を設置。
摂社:菅原神社(すがわらじんじゃ)
当社は元々西横江にてお祭りされてきましたが、明治40年8月に現在の宇佐八幡神社境内神社の一社として奉祀されるようになり現在に至っています。
このお社の歴史も古く、「人皇第五七代陽成天皇の御代の天慶七年四月、従五位弐部少輔兼文書博士菅原道真公加賀守に任ぜられ爾来此国に於て仁政を施されしを以て爾今天満宮を尊敬し祀れちと伝ふ」と、菅原社社伝に記載されている。
摂社:荒御前神社(あらみさきじんじゃ)
当社は菅原神社が西横江に鎮座している時代に同境内に奉祀されていました。
これ以前は上福増に鎮座していましたが、村の発展につれてその鎮座地が遠いことが話し合われるようになり、村民の声をまとめて菅原社境内へと移建、次いで明治40年8月に宇佐八幡神社境内へと移りました。
このときに荒御前神・菅原大明神・少名彦神を合祀する現在の神社となりました。
摂社:春日田社(かすがたしゃ)
ご祭神に医療の神様である少名彦命を祀っていた。
東横江に鎮座していた当社は、
ご祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
境内
横江の虫送りの行われる神社として古くより広く親しまれている神社です。
地元にとっての中心施設であることを表すように、参道の先の道路もまっすぐと神社本殿へと続くその様は圧巻の一言でしょう。
また周辺には田んぼが広がり、美味しいお米が実る一大産地としても名高い場所です。
境内には巨木が生い茂り、また非常に大きく立派な忠魂碑が目に付くことでしょう。これは、明治37年、38年の日露戦争戦没者の忠魂碑です。
その大きさから、まさにこの境内が地域社会の中心施設であったことがうかがえます。
その森の中には夏は涼しい木陰を造り、周辺地域の子供達や赤ちゃんを連れたお母さんの散歩には絶好の場所となっていますし、春秋には賑やかなお祭りが行われます。
現在も横江町のコミュニティセンターが建設されるなど横江に住む全ての方から愛される場所となっています。
お祭り
1月3日 歳旦祭
3月15日 春祭
10月15日前後 秋祭
11月20日 新嘗祭
お祭りの前に氏子の皆様には祭典奉納米を納めるお米を入れるビニールの袋をお配りいたします。
虫送りで有名な当社を、横江の村のご先祖の皆様が力を合わせて守ってきています。守るべき大切な伝統を今後も皆様欠けることなく寄り添って大切にしていきましょう。
そのためにも、多くの皆様の積極的なお祭り・神明奉仕へのご参加を願っております。
新しく越してきた方々も、是非一度神社へ足をお運びください。
所在地 周辺地図
氏子区域地図
白山市横江町地内は全て洩れる事無く宇佐八幡神社の氏子区域となります。
地鎮祭や入居浄祓いなど土地に根付いたお祭りは当神社(春日神社)が受け持つよう決められております。
鎮座地 : 石川県白山市横江町1番地
連絡先 : 町会を通じて氏子総代役員へ。地鎮祭のご質問は春日神社社務所まで。