いつの時代も、歴史を知るには先ず地元から。
一昔前では、同居するじいちゃんばあちゃんが折に触れ地域の風習や歴史などを子供に聞かせ、難しい内容とじぃじばぁばの優しい声で、子供達の子守歌に丁度良かった地元の歴史ですが、現代社会は核家族化も進み、ご両親の仕事も多忙を極め、昔話を知る機会自体がほぼ皆無の様相となっておりました。
学問の道は先ず探究心・好奇心から。
この想いを大切にされる学校の先生から、昨今多くのご依頼を受けて各神社へ足を運んでおります。
学校に行く道すがらや、友達の家に行く道中など、よく分からないけど、入ったことの無い神社がある。
今回間明の御馬神社に足を運んだ小学生達も、少なからずそういった好奇心を持ってみえてくれました。
子供のある風景
六十歳を超える方に聞けば、多くの方は神社で遊んだことがある、と、おっしゃって下さいます。
男性であれば、もうやんちゃの限りを尽くしたなんて話もちらほらと。
それでも、神様に何か悪さをすれば親や祖父母に怒られたとおっしゃいますし、夜の神社は怖くて日が沈んだら必ず家に帰ってた、と言う話も伺います。
ほんの数十年前には、神社は子供達の一番の遊び場で、子供ながらに社会を知る場所で、人間としての畏怖と感謝を知る場所でした。
今回米丸小学校の皆さんが、地元探究の想いを胸に御馬神社に足を運んでくれましたが、先生方や育友会の皆様が思考するのは神社の行く末というわけでは無く、子供達の向上心育成にあったと言えます。
子は宝と申しますが、倉庫に仕舞ったままの宝や磨きもしない原石では、それこそ宝の持ち腐れです。
学びの道を示す先生方にとっては、神社の存在は一つの課題としてとても優秀であるのでしょう。
神社境内に入ってきた子供達の目の輝き足るや、世界に一つの宝石の輝きを放っておりました。
子供の居る風景というのは、未来のある風景とも言える素晴らしい宝です。
是非今後とも、この素晴らしい宝を磨く為に、神社を活用して頂けると幸いです。
間明御馬神社と子供達の写真
追記
先日こちらでも公開いたしました、日本の歴史と間明の歴史を簡略に記した小冊子を、子供達にもお渡しいたしました。
ふりがなを振ってあるので、少し成長して、文字を読むことが楽しくなった頃に思い出して貰えると、嬉しいな、と、考えております。