神社というのはいろんな方がお参りに見えられますが、今回は猛禽類を代表してご参拝いただきました。
もちろん、鷹匠さん同行の上でのご参拝です。
鷹匠安全祈願祭 斎行
昨年末からお話をいただいておりました、鷹匠としての活動開始に伴う安全祈願祭を、春日神社にて行いました。
事前に幾度か話し合いの場を持ち、また禰宜がどのような祭典にすべきか検討して当日を迎えたのですが、少しばかり意表を突かれた思いでした。
もっとどう猛野蛮なのではないかと腰が引けていた禰宜にとって、これ程までに愛らしく美しいものだとは思いもよらなかったからです。
もちろん、祭典の間粗相することもなく、泣き叫び飛び回ることもなく。
祝詞を挙げている間は、羽ばたくこともなく止まり木に留まってじっとしていた様子でした。
祭場が汚れるかも知れないと聞いておりましたので、ブルーシートを敷いてそれでもひどいようなら境内に出てお祭りを行おうかとも検討したのですが、今回殿上祭にてご奉仕できて大変ありがたく思います。
また、鷹匠さんがご参拝いただくのは、近年では皆無であったため、祝詞も一から作成させていただいたのですが、その際鷹匠の歴史や前田家と鷹匠の関係などを調べてゆく内に、とてもおもしろいものだと気づかされました。
そもそも鷹を操って狩りをする歴史自体が、日本書紀に描かれているほど古いものであり、またこの日本書紀には、仁徳天皇の御代にすでに鷹狩をする者を特別な役職として扱っていたことが記されていたのです。
代々の天皇さまも好まれ、また時の武将もレクリエーションおよびコミュニケーションの一つとして用いられた鷹狩ですが、もちろん加賀藩頭首前田の殿様も好んでいらっしゃいました。
現代よりももっと山というものが自然であった時代ですから、なおさらこの自然の力である鷹を借りて狩りをする必要があったのでしょう。
そしてそれは、大切な話をするにはうってつけの機会でもありました。
狩り場は基本的に立ち入り禁止。
帯同する者は自分の腹心である家来ばかり。
密室とも取れるその場所は、政治的にも使いやすい空間であったことは容易に想像がつきます。
だからこそ、鷹を操る技術と知識は研ぎ澄まされて行くに至ったのでしょうか。
こういった内容を、祝詞の中に込め、然しながら命を扱う職である事を真心に留めて生活していけるようお祈り申し上げた次第です。
鷹と共に参拝する意義
鷹匠安全浄祓式を無事斎行出来たことは、少なからず神紋の意図に添えたのではないかと考えております。
ご覧のように、春日神社の神紋は梅剣鉢です。
これは前田家藩主から直々に使用許諾を得ているものであり、またこれに見合うべき神社であるようにと氏子崇敬者の皆様が守り続けてきた証でもあるのです。
今回、いみじくも前田家の守っていた鷹匠という職を祓い清めご参拝いただけたことはこの本義を通すと共に、自然との共存が必須となる人の世とその恵みを受ける人間が如何に感謝して行くかを考えられたお祭りとなりました。
ご本人の都合もあることなので恒例行事になるかどうかはまた来年のお楽しみですが、この一時が春日神社の歴史にとって重要な時間であったことは間違いありません。