春日神社社家のお盆_平成29年夏

平成の時代における天皇陛下の最後のお言葉

今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

 

日本国と日本国民統合の象徴として

平成31年4月30日 午後五時より、退位礼正殿の儀が厳粛に摂り行われました。

春日神社の平成の時代は、昭和56年に拝殿の建て替えを行って以降地域の氏神としての歴史に加え、遠く県外からのお参りも増えるといった歴史の転換の激しく進んだ時代でした。

今振り返りますと、大きな災いは無く過ごした時代でもありますが、現宮司がただただ祭典奉仕に望み、その奥様が24時間の介助手伝いをし続けた時代でもあります。

奥様の介助は、義理の母の身体介護にも及び数年間にわたり睡眠時間は2時間を一日に数回という状況もあるなど、献身的な神社・宮司家への奉仕があってこそ成り立った時代でした。

宮司夫妻は、平成時代の天皇皇后両陛下が皇太子殿下の時代に自らの青春時代を過ごしており、テレビで放送された皇太子殿下のご結婚パレードにも深く感銘を受けていたようで、今でも当時の映像がテレビで流れると危機として当時の自分たちの話を子供達に向かって話してくれます。

また、平成時代に天皇皇后両陛下のニュースを度々家族揃ってみておりましたが、その時のご夫婦のお姿に少なからず影響を受け、それが無心の奉仕にも繋がっていったことは想像に難くありません。

少なくとも、私達春日神社の田中家には、天皇皇后両陛下は象徴として、また目指すべき頂として坐しますお姿そのものであった様に感じます。

 

日本国憲法第一条には「日本国と国民統合の象徴として」とありますが、現憲法制定後始めて御即位成された平成の天皇陛下においては、そのお考えは察するのみではありますが、お姿からは時に道に迷う国民に対しても歩むべき道を照らす光明として常に存在されてきたことと考えます。

正に、国家国民の象徴として、喜びの時も苦しい時も、その存在を示されたお方でした。

春日神社拝殿_平成31年4月
春日神社拝殿_平成31年4月

 

上皇様としてのお過ごし

明日以降、平成時代の天皇皇后両陛下は上皇上皇后さまとしての時を歩まれます。

高齢化が二乗加速度的に進む日本において、我々の歩む道をまた教えて下さることでしょう。

最近流行した俗語の中に、孫育て十箇条なるものがありました。

孫育て十箇条

一、育児の主役はお父さんとお母さん。祖父母はサポーター。

二、お父さんとお母さんの話をちゃんと聞く。

三、今と昔の子育ての違いを受け止める。

四、咎めることは見過ごし、補った後の笑顔に期待。

五、他の子、他の兄弟、他の親と比べない。

六、手・口・お金は出し過ぎず、自分の心と体に余裕を。

七、親子間でも「ありがとう」「ごめんなさい」を忘れない。

八、孫の褒め役だけできることに喜び、最強応援団を楽しむ。

九、自分の生き方や趣味を大切に、孫の成長を見守る余裕。

十、老いてゆく姿を見せる。

これを記すということは、もちろん子を育てる親がおじいちゃんおばあちゃんに求めるところでもあるのですが、祖父母が立ちゆく姿に願いを込める若者の姿でもあると言えます。

若者達は今も昔も変わらず、現役の高齢者の皆様に「主役を降りろ。」と言っているのではありません。

これまでの主役の場所は、脇役や次の世代が担うから、新しい主役の座について欲しいと願っているのです。

その場所は、これまでの自由とはまた違った自由の存在する場所であるし、そうで無ければ自由に居られる場所をまた次の世代のために創造して欲しいのです。

先の孫育ての十箇条の最後に、「老いてゆく姿を見せる。」とあります。

時代はこの日を以て終えますが、平成の御代のお二人の人生はまだまだ続き、我々国民と共に歩み続けられます。

ただ坐し坐すそのお姿からは、きっと我々にまた多くの人生訓を示して下さることでしょう。

 

今し御代

繭紡ぎ行く

足らし御代

歩む国民

共照らし坐す

 

禰宜

老いるという事_平成28年8月6日
老いるという事_平成28年8月6日_といやまちの皆様に深い感謝しかありません