令和元年_泉の蛍

ミミズクの鳴き声が聞こえました

春日神社十社会の内の一社である、国造神社。

常には神職の居ない神社ですが氏子の皆様によって年中管理されており、一日に何度も見回りに来て下さる方が多く、またその歴史も意外に面白い神社の一つです。

この神社には、昔からミミズクが営巣しているようで、日が落ちた後しばらくの間、その声を聞く事が出来ます。

春秋正月のお祭りの際に配られる初穂米料奉納用の封筒にまで描かれる程に、国造神社を見守る鳥として親しまれてきました。

 

しかし。

如何せん、鳴くのは日が落ちてから数時間。

一般にお昼にお参りをいただく方にはこの様子を実感する機会が少ない事も事実です。

そこで、今回スマートフォンで撮影をしてみました。

かなり音量を上げないと聞こえませんが、拝殿前のご神木でもある欅の木の上で鳴いているようです。

ほんの半世紀前、国造神社周辺は田園が広がっておりました。

しかし、歴史を重ねる内に田畑は住宅へと姿を変えてゆきましたが、国造神社の境内は変わらず昔ながらの姿を残しております。

このミミズクの鳴き声は、今の時代に残る日本の原風景の一つとされ守られてきております。

 

原風景の復活

泉地区で当たり前のようにあった夏の前の風物詩の一つに、蛍飛び交う田園の姿がありました。

犀川から農耕用の水を引いてきている泉用水は長坂用水の一部であり、春日神社十社会に名を連ねる押野高皇産霊神社の当時の関係者(豪族後藤家三代目後藤太兵衛)が尽力したとされています。

ちなみにこの押野地区は、加賀藩政期当時において一大事業であった長坂用水治水工事へ最大限尽力・陣頭指揮をしたとされ、押野山という飛地を加賀藩より賜ったと記されています。

前田家の墓所がある野田山山麓を取水口とし、寺町等を経て現在の泉地区に水の恵みが絶える事なく広がっているのはこの後当家のおかげと言っても過言ではないのですが、後藤家が残したのはこのきれいな水の恵みからなる生態系でもありました。

泉地区の当時を知る古老等によると、魚釣りは出来たし蛍もよく飛んでいたんだとの事です。

 

その蛍の姿が、近年復活の兆しにあるのです。

 

何時の頃からか蛍を再び見かけるようになった泉用水ですが、地域の人々はこれを心から喜び、子供達と共にこの姿を是非守りたいと立ち上がったのです。

幾度となくカワニナを放ち、ゴミが流れていたら拾い上げる事数年。

今年もまた、その温かい輝きを見る事が出来ました。

うっすらとひ光り、スマートフォンなどのカメラでは綺麗に撮る事が出来ませんが、この明かりを見た子供達には想い出の光として強く刻まれるようで、今年出向いた際にも近隣のご家族様が声を殺して見に来ていらっしゃいました。

その姿が、こちらです。

飛び交うという程にはまだまだほど遠いのですが、3匹程の明かりを確認いたしました。

 

今後もこの蛍保存に向けた取り組みは絶やさず続けてゆくとの事ですので、地域の皆様は安全を確保の上、子供達と是非ご覧下さい。

また、今年の秋にはこれも復活した泉獅子舞が国造神社で奉納される予定です。

皆様のご尽力には敬服の思いばかりが募ります。

誠にありがとうございます。

 

Leave a Comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください