黙祷は欠かさず

祭典奉仕中など余程のことがない限り、この日に黙祷は欠かしません。

今年はご祈祷直前でしたので、神社拝殿の回廊(濡縁)から被災地へ向けて一分間目を閉じました。

昨年は春日神社の宮司となって初めての3月11日でしたので、黙祷の後、正式参拝をさせていただきました。

今年も、玉串を献じ亡き御霊安からんことを念じ、これに関わる多くの家族親族関係者の皆様には実りある日々をどうか送っていただきたく、奉拝させていただきました。

人の命が、本人の意図しないところで奪われると、残された者は悔恨の闇に囚われるものです。

しかし、私が考える神道の中に、無くなった方へ手向ける気持ちは『感謝』であろう、ありたい、と示しております。

未曾有の大災害となってしまったこの大地震に対するお参りにも、ただただ感謝と平和安寧を願い、大神様の前で拍手をしておりました。

立場や時系列で考え方の変わる人間にとって、大切な命の喪失感は一言で表せるものではないことは確かです。

それでも受け入れて、向かうべき未来の一つの形が、『感謝の願い』なのだと考えているのです。

 

いつかは現地へ

災害ボランティアを生きがいとしてやっていらっしゃる方が、私の受け持つ神社の氏子さんにいらっしゃいます。

何か大事があれば、自らで全て完結できる装備を持って直ぐに現地へ飛んでいくその姿は、ハヤタ隊員がウルトラマンに変身して飛んでいくようなものです。

長野にも、熊本にも、広島にも、災害ある毎に仕事を休んで二週間やひと月現地に入っていらっしゃいます。

もちろん、その方々は市や県の辞令を経て入りますので、我々一般市民県民の代表として現地に赴いていることになります。

そして帰ってくる度に、現地の惨状を伝え、それでも頑張っているんだと現地の力強さを教えて下さります。

頭が下がります。

「俺らが出来る限りで現地をなんとかしてくるから、いざ復興したら、みんなは現地に入ってたくさん遊んできてくれ!」と。ニコニコしながら教えてくれます。

ひたすら水で重くなった土砂をかき出し、乾いて砂埃の舞うようになった土を床下からかき出し、腰は痛くて辛いと言いながらも一日中朝から晩まで同じ仕事を延々とやり続けるボランティア活動。これをじっくりやり続けている方が、「現地に遊びに行ってくれ」とおっしゃるのです。

私が遊びに行かなければいけない場所の何と多いことか。

しかし、当方時間とお財布の中身が心許ないので、今はまだテレビを眺めるのみでございます。

サンドウィッチマンさんが好きなのですが、youtubeなどで見ておりましたら子供も楽しそうに見ておりました。

教化活動の賜物です。

テレビの中の被災者の方々も、遊びに来てくれって言ってくれてます。

 

いつかは。

どこに行けるかは分かりませんが、家族と共に訪れたいのです。(せめて、岩手県沿岸部にはなんとかして。)