令和5年3月 梅の花と赤鳥居

神社へのお参りとご奉仕

本日は、被災者では無い私たちにとっては、今在る平和と安寧を感謝する日、とも言えるでしょう。

皆さんが子供の頃、親やじいちゃんばあちゃんに連れて行ってもらった、地域の料理屋は今も在るでしょうか。

小学生の頃下校時に立ち寄った駄菓子屋は。

入学式や卒業式の時に撮った自宅前の家族写真。

今も在る当たり前は、誰かの努力の賜物で有り、困難に立ち向かい乗り越えた成果でもあります。

その平時をかみ締め、振り返り、感謝する日では無いでしょうか。

 

神社が捉える時間の考え方には、日常を「ケ」、非日常を「ハレ」、と、明確に区別します。

現代においてはハレの日が素晴らしい日のように取り扱われますが、祭りを行う神社では、非日常(ハレ)の為にある日常(ケ)で有り、日常(ケ)あってこその非日常(ハレ)と考え、それぞれを大切にし、日常を無事送れる事の感謝を自宅や地元の神様へご報告するという意味で参拝しますし、半年や一年、または家庭や会社の中での大事を迎えるに当たっては神社へ出向き祝詞をあげて報告・祈願・報謝のご祈祷をご奉仕いただくのです。

そして、ハレは、何もお祝い事だけではありません。

忌み事や厄年など気勢が落ち込むような時間もハレとして扱い、日常であるケとは区別し、落ち込んだ気を祓い、厄を落としてできるだけ日常(ケ)を取り戻せるよう祈念するのです。

 

神社へのお参りとは、個人の祈願はあって然るべきですが、併せて神社へ足を運べた「これまでを感謝」するお参りでもあるのです。

この「これまでを感謝」というのは、自分の人生のみならず、先祖代々命の絆を繋げてくる事が出来た歴史と思い出への感謝でもあります。

 

今日この日は、1月17日同様に、9月1日同様に、平和と安寧を言祝ぎ今後も変わらぬ続くよう祈念し、ただしかし、この平和や安寧が潰えた多くの人々に向けて、出来る限り安らかに日常を取り戻してもらえるよう願う日、そのために形無き自然や畏怖偉大なる存在に向けて参拝奉仕する日、なのでしょう。

 

春日神社では、そういった日々の平和へ感謝するお参りをされる方が、とても多くいらっしゃいます。

ぜひ多くの方に、地元神社で感謝のお参りを進めて下さると、いいなぁ、と願っております。

もちろん、人生の節目には是非、神社で家族揃ってお参り、ご祈祷を受けて下さい。必ず、家族全員の思い出と歴史になります。

 

文学から見える被災地

立ち直る、復興、等の言葉それ自体が少し仰々しく、いや、そうじゃないんだ、俺達私達にとってはただ人生の中の一瞬で有り、家族にとってはあの日から続く永遠の一コマなんだ、と、訴えかけられます。

写真や動画では、どうしても悲しい、辛いに目が行きがちですが、確かに辛くて悲しいのですが、それ以前には幸せで平和な日々がしっかりあったのですよ、と。

それ以降、俺達私達は、悲しみや幸せとは別に、日常を歩んできたんですよ、と。

 

震災以降の文学には、そういった内容も見られるようになってきました。

被災地のグルメを紹介する芸能人の皆さんは、皆一様に笑って楽しんでくれています。遊びに来て、同じように笑って楽しんでくれと呼びかけてくれます。

被災された方々以上に、笑って、楽しんで、喜びある時間を届ける事が、被災しなかった者の出来る事、ではないでしょうか。

 

そんな事を、御神前に向かう中で考えておりました。

春日神社でも、防災の為に家庭用バッテリーなど準備しましたが、そもそも大きな地震が来た際には神社そのものは大丈夫ですが築100年を超えた社務所は倒壊するのではと言われておりますので悩ましいところです。

 

 

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