交通安全ステッカー_平成31年

子を持つ親として

昨今の痛ましいニュースを、全く以て直視できません。

しかし、知らなければならない事で、それを心に留め自らをさらに戒めねばならないと繰り返し心に刻みます。

 

交通安全とは何か。

社会の平和とは何か。

人生の道標とは何か。

 

これを、子供達にどう伝え、教え、導けば良いのか。

心が張り裂けそうになるこの頃ですが、だからこそ、しっかりと芯の通った柱を掲げ家族や神社を守らねばと襟を正す次第です。

 

神社へのお参りは感謝の心から

皆さんの前で宜申す神主の祝詞にも、いくつかの文法があります。

起承転結はもちろん、文言にも細かな心遣いが必要となります。

しかし、基本的に必ず述べる事として、感謝気持ちを言葉にします。

自分の姓名とこれまでの人生や今居る現状を大神様・氏神様へと報告・感謝する事が大体頭の方に来て、それからお願い事に続くものが多くを占めます。

兎にも角にも、現状を感謝する心が在った後に、その先へ向けてお願いすることが物事の道理とされていることは人生訓においても当然の理でしょう。

 

たとえ旅行のついでに足を運んだ神社であっても、その場に足を運んで下さった事が既に感謝の心の現れになると言えるので、旅先の神社参拝は感謝の心を表すとする意味で日本人の心に受け入れられており、また神社側も快く受け入れる要因となります。

感謝の心とは、言葉にせずとも行動によって相手が受け入れる事が出来る、人間が生きる根幹を形作るものとなってゆきます。

感謝の心の無い言動は、美辞麗句を並べようが最高の仕事をしようが、本質では誰も受け入れる事はないのですから。

また、相手の心を受け入れる時にも、感謝の心が無ければ素直に受け止める事は出来ません。

今、様々な情報の中に埋もれてゆく皆様にとって、情報を取捨選択する最大の根幹が、この「感謝の心」であると感じております。

 

地元小学校の写生会が開かれました。(令和元年6月)
地元小学校の写生会が開かれました。(令和元年6月)

 

春日神社では、皆様のお心をなるべく汲み上げ祝詞に組み込むようにしております。

一例では、やんちゃな子供が神社で騒がないようにと他に預けてご夫婦のみでお参りされた厄除けの方に「子を想う心はたとえ離れていても弛む事無く家族親族共に手を取り合い」と付け加えたり、安産祈願に訪れたお母さんに「たとえ3人目の子供であっても命を生むその行為は奇跡であるとして神様のお助けを願う」等と付け加えた祝詞をあげています。

数多くの神社の中から選んで参進いただいた春日神社には、きっと何かしらのきっかけやご縁があるはずです。

神社神職は、そういったご縁を大切に、皆様の前で祭典奉仕をしてゆきます。

皆様の大切に守っていらっしゃるその心を、なるべく間違いなく大神様へと伝えるよう心がけます。

人と人とを繋ぐ感謝の心があってこそ、神社へのお参りに向かう道も繋がってゆくのでしょう。

 

明治天皇御製の中に一首、この様にあります。

「めにみえぬ 神のこころに かよふこそ 人のこころの まことなりけれ」

 

宝は守りたい

神社を宗教施設とする方は即物的だと言われますが、神社を守ろうとする方もまたそうであるように感じます。

地域の宝や象徴として機能している施設とされる「神社」は、得てして地域社会を纏める一つの律や令のような側面を持ち、その日その時で揺らぐ人々の心を繋ぐ、大きな意味での社会規範となっています。

だからこそ、宗教施設という一面だけに捕らわれない方々から見ると無くてはならない社会インフラの一つに捉えられ、言葉を換えて宝と表され守るべき歴史文化を持ち得て今の時代に繋がってきています。

 

今まさに、人の心をたった一人のつぶやきで簡単に揺るがせる時代になってきていますが、そこでこそ一つ神社へのお参りの心を思い出していただきたいと考えるのです。

 

皆さんどんな方でも、宝と見えるものは守りたいとお考えでしょう。

その宝が、家族であったり、お金であったり、歴史であったり、未来であったりと、それはもう多種多様にあると思いますが、どれをとっても宝を守りたいと願う心に変わりはないでしょう。

しかし、少しひねくれてしまうと、宝を壊したい、自分の思い通りに守れないなら壊しても良いと、間違った方向へ向かってしまいます。

これこそ、人の弱さの大きな一面です。

 

そしてもう一つ。

誰かが大切にしている宝なんだから、守らないにしても壊してはいけないのです。

すると、大体世の中のほとんどが誰かにとっての宝なのですから、壊さないように生きてゆく事が望まれる未来に繋がってゆきます。

神社風に言うと、

「八百萬神様がいらっしゃるのだから、世の全ては無駄遣いしてはイカン。」

「和を以て貴しと成すと言う心持ちは、養老4年(西暦720年)に完成した日本書紀に残される程大切な言葉です。自分が違うと思うからと言って相手を非難する事に軸足を置いてはイカン。」

 

いつも月次祭の度に申し上げておりますが、神社を守っていただいている皆様こそ神社の宝であり、地域の道標となっています。

どうか皆さん、宝を守る方々に小さくても結構ですからお手伝いを下さいませ。

神社を守り、人の繋がりを守る事は、少なからず地域社会を守る事に、必ず繋がってゆきます。

そして、その輪の中でも収まらない方はいらっしゃいますが、どうか少しずつ受け入れていってあげましょう。

 

世の中の変化以上に、人間の心は良くも悪くも代わるものですから。

 

交通安全に向けて

現在の春日神社宮司は、70歳を機に運転免許を返納しました。

高齢者による事故(被害者の場合と加害者の場合双方)が重大事故になりがちな事は統計にも表れているよう(内閣府平成29年特集「高齢者に係る交通事故防止」)で、石川県では車が無いと生きてゆけない場所も多いのですが、だからこそより良い改善策に向けて歩みを進めていけるよう願っております。

家族が、「運転するな」、「免許返納した方が良いんじゃないか」という言葉には、ご自身の命を大切に思う心が大部分を占めます。

春日神社でも交通安全のご祈祷ご奉仕しておりますので、一つ人生の区切りに向けて是非お参り下さい。

交通安全のお守りも数種類揃えておりますので、ご家族からの気持ちを込めた贈り物にも是非。